歌声と話し声の違いとは
「歌を習っても、話すときの声は良くならない」と主張する人がいます。
(※フースラーらの信頼できる研究により、現在ではこの主張は間違いであるとされている)
しかし、テノール齋藤(齋藤匡章)の個人的な経験からしてもプロとしての知見からも、「歌声を磨けば、話し声にも好影響が得られる」ことは明らかです。
歌としゃべり、どちらが先だと思いますか?
どちらが発声器官にとって基本的な行動か、という意味です。
答えは、歌。
意外でしょう。これからその根拠をお話ししていきます。
私たちの発声器官は本来、歌う(鳴く)ために発達した器官です。
鳥や哺乳類を見ればわかるように、誕生とほとんど同時に鳴き声を発することができるように、完成した発声器官を持って生まれてきます。
わかりにくければ、呼吸器官を考えてみてください。「訓練によってすこしずつ呼吸ができるようになる」わけがありませんよね。
最初から完成した呼吸器官を持って生まれてきます。
人間も例外でなく、生まれた途端にあんな大きな――しかも明るく澄んだ――泣き声を出します。
当たり前ですが、言葉を発するのはずっと後のこと。
人類が言語を獲得する前は、赤ちゃんの泣き声のバリエーションによってコミュニケーションをとっていたのでしょう。
それがすなわち「歌声」です。
メロディーもなく、言葉もありませんが、多くの歌手が驚嘆するように、赤ちゃんの泣き声は明らかに声楽発声です。
生まれたときから、私たちは「声楽発声のために完成された器官」を持っているのです。
「話し声より歌声が先」であるもう一つの証拠に、「形態的変化のなさ」があります。
名歌手の発声器官が形態的に変化していくわけではない、ということ。
かつて、名歌手の死後、発声器官を解剖してみた人たちがいます。
「人間離れした歌声を出したこの歌手の発声器官は、いったいどんな発達を遂げたのだろう」と期待しながら。
しかし、歌手でもない人の発声器官と何一つ変わらない事実を目の当たりにして、がっくり落胆したそうです。
つまり、発声器官は最初から完成しているのであって、歌唱訓練は「もともと備わっているが衰えたり眠ったりしている能力を回復する」取り組みにほかならないのです。
言葉が生まれたのは何万年前か、言語学者の研究でも明らかにされていませんが、ちょうどその当時の様子を想像してみましょう。
想像ではありますが、著しく妥当性を欠く想像ではないはずです。
完成した発声器官を持ち、ほかの動物たちと同じように歌声を発していた人類に、言葉という道具が与えられた。
言葉を音声として伝達するには、何らかの方法で音を発する必要がある。
そこで、発声器官を借用しようと考えるのは自然な成り行きでしょう。
歌声のための発声器官を、言葉を伝達するために「借用」したのです。
ただし、話し声の音色や周波数の幅からわかるように、話し声のために借用している機能はごく一部ではあります。
いずれにしても、歌声が先、話し声が後、ですね。
したがって、歌声を正しいやり方で訓練すれば、発声器官の使い方に習熟することになるので、話し声も結果的に好影響を受けます。
しかし、「発声器官の機能をごく一部のみ借用した」話し声を訓練しても、歌声が良くなることはありません。
「歌をやれば、しゃべりが良くなる。しかし、いくらしゃべりまくっても、歌は良くならない」と覚えておきましょう。
最後に一つ、大事なことを付け加えておきますと、歌の訓練をしながら、ついでに――あくまでもついでに――話し声の練習をすると、話し方をレベルアップさせるのに役立ちます。
テノール齋藤(齋藤匡章)が話し声の指導をしているのは、そういう理由なのです。
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